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2007年5月

2007/05/29

ハツハリ

昨日の話だが。

先週の日記にもあるとおり、ここのところ肩凝りが常軌を逸していて、まるで半分破綻していこの人生の象徴のように、つねに痛みのサインを発し続けている。

基本的に、病院という場所にいくのはとっても恐ろしいので、なるべく足を避けていたのだけれど、何をしていても手につかないこの困った症状にはホトホト参り、ついに人生初の、鍼灸院のドアをノックするにいたった。

寝返りもうてないような狭いベッドに仰向けに横たわっていると、若い男の人が僕の脈を取りつつ、腕やら腹やら足、しまいには頭頂部に、次々と糸のような鍼を刺していく。
「肩凝りが最近ひどいんですけど」と、無保険状態をおしてまでこの病院にやってきた理由を説明するも、その肩に触れて「凝ってますね~」と、誰でも言えるような気休めは言ってくれても、決してその肩に鍼を刺すことはなかった。

「じゃあ、しばらくそのままで。あ、鍼は浅いから体動かしても大丈夫ですよ。」

時間は流れて30分、まっすぐに壁を見上げて不動のまま。注射嫌いの僕がまさかぴくりとも動けるはずもなく。

続いてベッドにやってきたのが、どうやら院長のようだ。どれどれ、といった感じで、危うげで信頼ない言葉ではなく、じっと手に触れる脈を通じて、僕と会話をしているみたいだ。
今度はうつぶせで背骨沿いに何十本か、パンツを半分ずり落とされた格好で、やっと患部にも鍼。でも何も変わらない。

背中の鍼を抜き、また脈を診て、「ここでしょ?」となぜか右足のふくらはぎのとあるツボに鍼を刺す。するとたしかに、肩が軽くなった、気分になった。
「はいはい、ここね。んじゃ、終了」って勢いで、この日の診察は終わった。

なんだかよくわかならい。自分自身の体のこと、じつは全然わかっちゃいない。
気が滞ってるな、とか、体がサインを発してるな、とか、あいまいな言葉でごまかしてみても、気とは何かさえ知りやしない。
自分自身さえ知らないで、どうして他人が知れよう。どうして世界が知れよう。

夜は、波照間で同じ宿に泊まったRと旅行以来の再会。ずっと行きたくて行けてなかった、富田のカフェ・コモンズで、石窯焼きのピザなどを堪能した。

最近就職したばかりのRの話を聞くと、同じ日数を生きてきた(今日で11387日目)とはいえ、やはり彼女のほうがこの仕事については長いし、知識もあるし、よくいろいろと考えているなぁ、とお姉さんを見てるみたいに感心してしまう。

僕の知らない、Rだけの波照間体験談もやっと聞けて、すっきり。いや、とてもじゃないがすっきりした話ではないけど。
うすうす、この猟奇的な肩凝りは、何かが「憑いてる」のではないかと疑っているのだけれど、一応否定してもらいました。
やっぱ、ストレスだね~。

ふと鏡の中の自分と目が合って、愕然とする若白髪の多さ。


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2007/05/27

神社にアフリカン

先週ペルー料理を一緒に食べたAさんがボランティアスタッフをやっているというので誘われた、「未来をつくるフェアトレード」というイベントに行ってみた。
場所は、谷町9丁目にある高津宮神社。何年か前に三線仲間で鍋をさせてもらったことのある神社で、大阪の街中にありながらしんとした雰囲気のある場所だ。

好天にも恵まれたせいか、それほど広くはない境内は想像以上の人であふれかえっていた。
目に飛び込む、多種多様な人。人。人。
ナチュラルでいかにもPeople Treeのカタログに出てそうな素敵な女性、アジア旅帰りみたいな髭面の若男、ちょっとおしゃれに気合を入れたおばちゃん、そしてちっちゃな子どもたち。

その中でも特に目立っていた一団、ジャンベを持って、ドレッドヘアで、てれんてれんのアフリカ衣装着てて、マリファナでも吸っていそうで、こういう人種の人たちがいる場所ってのがなんだか懐かしい興奮と安心を覚えてしまう。

このジャンベ集団が、前触れもなくふらふらと神社の本殿に陣取って、ドコドコと演奏を始めた。
すると、派手目な衣装を着たおばちゃんがその前を背筋伸ばして歩いては立ち止まる。
また綺麗な服のおばちゃんが同じように、アフリカンなリズムをやらかしてくれている集団の前を歩く。
やっと気付く、これはフェアトレード服のファッションショーだったんだ!

次から次へ現れるのは、揃いも揃っておばちゃんばかり。そのおばちゃんモデルと、ファンキーでヒッピーなジャンベと、厳かな神社という、なんの接点もなさそうなものがごちゃまぜに混じっている様がステキすぎて、ここ最近ないツボにはまってしまった。

その無秩序なファッションショーの後に登場するのは、「第九で9条」。
ベートーベンのあの第九のメロディーで、日本国憲法第9条の条文そのままを歌うという、あまりにもあまりな強引さとストレートさに、一緒に行ったAと涙を流して大爆笑。いやホントに、涙が出てきてしまったの。

境内には、フェアトレードのお店のほかに、手作り石鹸とかカフェとか、あるいは子どもが熱帯の獣のように色塗りに没頭できる場所とか、いろいろあってそぞろ歩くだけで楽しかった。僕は結局、バージンココナッツオイルを購入する。肌のこと、そろそろ真剣にお手入れしないとさ。

その後も勝手に繰り広げられるジャンベとアフリカンダンスは、緑の木の下で開放的で、ちっちゃな子どもがつられて踊りだして、ああなんて平和な空気なんだろう。

久しぶりに、毎晩のように誰かと飲み歩いているようなアル中のこの胸の中に、空気が通ったような気分になった。


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2007/05/23

体の声

この一週間ほどだろうか、とにかく肩が凝っている。
いや「凝っている」なんてヤワな言葉はとてもじゃないがこの苦しみを伝えきれない。
なにかに憑かれたみたいに、重苦しい。

血が、気が、滞っている。
体の声に耳をふさぎ続けている反逆で、そいつがいよいよ絶叫をあげだしたのかもしれない。

そろそろ、さよならをいう、時期
そろそろ、新しい、場所へ

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2007/05/20

舌が憶えている

10年前にグアテマラの古都、アンティグアで出会ったAさん(日本人女性)とそのアメリカ人旦那Mさんと久しぶりに再会。
おととしの琉球フェスティバル以来だから、随分とご無沙汰してたものだ。
まあ、久しぶりとはいっても毎年1年に1回くらいの割合で会っていたから、お互いの環境や仕事の変化や、あるいは変化のなさに、それほど驚くこともない。

ワーホリから帰ってきた直後に行った記憶がある、梅田東通りの奥にあるペルー&メキシコ料理店"LOS INKAS"に行った。

ブリトーの豆豆しさとか、セビチェの危うげなすっぱさとか、うーん、懐かしい!

タコスの皮の、挽いたトウモロコシの香ばしさが口に入った瞬間に、10年前の光景がぶわっと巡る。
「インカコーラ」という単語を見ただけで、あの黄色い毒々しい甘さと、そのインカコーラを飲んだペルーの甘酸っぱい感傷が咽返る。

記憶って、頭の中じゃなく、舌や鼻に宿っている。

AさんMさんカップルは、時を経ても相変らず一緒にいて楽しくて、今度は滋賀の酒蔵ライブでかな?

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2007/05/17

あとの祭り again and again

沖縄に行っていたのは、もうすでに1ヶ月前になるというのに。。。

日焼けした二の腕がひどいことになってます(T_T)

ぼろぼろでかさかさで、ここだけみたら50代のおっさんです。

事実を直視しないと。

もう若くないんだから、日焼けはしちゃいけない!!

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2007/05/14

お幸せだ!

誕生日会のサプライズプロポーズから早2年、SRの結婚式がついに来た。

結婚式に参列させてもらう度に必ず思わずにはいられないのだけれど、花嫁姿のRはほんっとーーに、美しかった!全身から幸せオーラが発散されていた!
てれれの職員さんとして働く普段の姿も素敵だけどね、でもやっぱり、特別に輝いておりまして、それだけでこちらも嬉しかった。

とってもお似合いの二人、披露宴パーティのトリで歌った『糸』が最高に良くて、ほろりときた。

これからも、楽しんだり、たまにけんかしたり、でもいつまでもいつまでも一緒に歩んで、幸せにね!

追記:
午前中に大阪の桜川で式に臨んだ後、分単位のスケジュールで移動して向かうは京都の烏丸へ約1時間。
予約しておいた着物サロンで、生まれて初の着物を着ました!
お腹はきついし大股で歩けないし、でも披露宴に間に合うために京都散策いっさいなしで再び大阪へ。
七五三みたいになるかと心配してたけど、それなりに様になっていたようだったから、調子に乗って次も着物でいっちゃおうかな。

Kimono


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2007/05/09

沖縄 曇時々雨一時晴れ<石垣そして>

三夜を過ごしていよいよ島を出る朝、思い出し笑いみたいな晴れ間が突然訪れた。
荷造りもそこそこに急いで自転車を漕ぎだし、朝陽でまぶしく色彩を取り戻したニシ浜を目に焼きつける。

高速船は再びあの、空港みたいな離島ターミナルに戻ってきた。
離島への旅の起点である石垣の街並みはもうすっかり馴染みだ。1年に1度だけ顔をあわせる叔母みたいで、強い愛着や興奮はないけど、ほっと安心する適度な懐深さがある。

しかし実は石垣は、これまで何度も来ているのに離島への足がかりとしてしか見ておらず、今回の旅で初めて宿に泊まることにしていた。
宿はすでに決めてある。Rが先に泊まっていて、ぜひに!と薦めてくれていたヤーンブジーナは、大阪出身のご主人がとっても気さくなに話しかけてくれた。Rの紹介で、ってことですでに話はいくらか通っており、この南の果てのこじんまりとしたドミトリーで、障がい者福祉についていくらかしみじみと、でもやっぱり軽く、語ってくれた。

石垣島を自転車でぶらぶらする案も捨てがたかったが、竹富島に日帰りで行くことにしたのは正解だった。
ついにやっとのことで青空が全開に広がりだした昼間に、自転車でこのいかにも沖縄らしい赤瓦と白砂利の美しい町並みをゆったりと走るのは、想像以上に気分を上げてくれた。たとえ、竹富島はこれが3度目の訪問だとしても。
おまけに、プライベート旅行で来ていた某三十路グラビアアイドルHを30センチの間近で遭遇!あまりにも近くで見すぎて、胸にまで目がいかなかったほど。ちょっとそばかすがあって、でもちっちゃい顔がかわいー三十路だった。

夜はこじんまりとではあるけど、宿泊客やら移住してきた元常連客やら大学院研究者やらで、この旅最後の宴会。宿というよりは、人の家にみんなで遊びに来ているようなアットホームさで、またいつでも帰ってくるな、と確信する。

翌朝、やはり天気ははっきりしない。
市場をぶらぶらして、お土産をまとめて買って、飛行機が発つまでの時間を潰す。
町中いたるところに、この島が生んだ驚異的人気バンドBEGINの高校時代を描いた映画「恋しくて」のポスターが張られている。さすがお膝元、上映は小さな映画館ではなくて石垣市民会館で、しかも舞台挨拶に監督とBEGINが登場するという。島のみんな一丸となって映画を応援しましょう、そんな雰囲気が伝わってきてにやりとしてしまう。

空港へ向かう路線バスの中では、すでに気持ちは半分内地へと飛んでいる。帰ったら、あんなことこんなこと話そう、頭の中はいっぱいだ。
今回は、初めて行った島はなかったから、果たしてちゃんと目を開けて、心を開いて見ていたか、心もとない。
曇り空をうらめしく見上げながら、そこに何か違うものを描いていたような記憶がある。
頭で旅をしていたような、そんなあやうさもあったような。

帰ってきてから10日以上経った今日も、未だに二の腕は真っ黒に日焼けして、少しずつぽろぽろと皮が剥けだしてきた。
地位も身分も職業も肩書きもすべて置き去りにして、旅心だけもって集まる沖縄の宿。また帰りたい。
余計なこと、考えずにね。


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2007/05/07

沖縄 曇時々雨一時晴れ<波照間3>

気がつけばGWも終わり、沖縄に行っていたのはもう2週間も前の話ではないか。
もうすでに、あの旅は何ヶ月も前の出来事のように思える憂鬱な月曜の朝。
昨日のように、一日中冷たい雨が降る長い日曜の昼などは、曇り続きでやきもきしていた波照間の比ではない。

一人旅をしていながらも、ずーっとあるひとつのこと、ずーっとあるひとりのことを思い続けていると、まるでその人と旅をしていたかのような錯覚に陥ったりする。
不在がなおいっそう、その存在を強く感じさせる効果で、ニシ浜でぼけっとしていたり、古い石垣家屋の町並みを歩いていたり、共同商店で泡波を買ったいたりするときも、ひりひりした日焼けみたいにむずがゆく感じていた。

天気って、人間の力ではどうしようもなくて、祈ろうが恨もうが変わることはない。何をどうしうようとどうにもならないことは、重々分かっているのに、それでも人の心にずかずかと影響を与える。
人の心というか、僕の心に。弱いなー、って思う。

もちろんすぐに気分を入れ替えて、「つまりこれは、また今年にもう一度この島に来いよ!」って意味なんだと積極的に解釈する程度の、楽天さも持ち合わせる。
今度来るときは、その人と来たらいいんだ、と。

Rが一足先に帰った夜は、たましろに新しいお客さんが増えてにぎやかだ。
この晩は、ご主人のお兄様が三線を持ってきて、波照間の歴史を語りながらの三線ライブとあいなる。
昨日「なんじゃこの廃墟は?」と思っていたぶりぶち公園や、島の豪族オヤケアカハチの話(アカハチ=赤毛の渡来人とのハーフ?)を2時間あまりにわたって、ゆったりと語ってくれて、外洋に面したこの島の不思議な歴史の一端を遅ればせながら知った。

夜中遅くまで宴会は続いた。曇り空からは相変わらず、星のたったひとつさえ見えず。
ますます、またこの島に戻って来たい、という気持ちは、募るばかり。

~続く~


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2007/05/06

沖縄 曇時々雨一時晴れ<波照間2>

波照間2日目も、やっぱりうらめしい曇り空。
ただ、それはそれでいいのかもしれない。なにしろ、沖縄に来ると毎回懲りることなく、かりんとうみたいに真っ黒の日焼け、というか火傷するにまかせてしまうから。

宿のおんぼろレンタル自転車の中から、ブレーキが利いてタイヤがパンクしていない上等なやつを確保し、ぐるーっと島を一周することにする。どの離島に行っても、だいたいまずはこれをしないと、島旅をしている気分じゃない。

5年前の旅行でも同じように自転車で巡ったのに、初めて行くようなスポットがいくつか見つかる。
波照間の観光スポット?とされる「ぶりぶち公園」もそのひとつ。「下田原城跡」なのだそうだが、崩れかかった石垣が、鬱蒼としたジャングルに覆われるがままになっており、木や蔦をかきわけて進めど進めど、その全容が分からず、だんだんと恐怖心が芽生える始末の公園だった。

バス停みたいな飛行場や、断崖絶壁の絶景な高那崎、未だ台風被害で閉鎖中の星空観測タワーと、島の目玉を巡ったあと、お約束の日本最南端の碑!

Sainantan

「この瞬間、1億2千万人の日本人の中で、一番南にいるのが自分なんだ!」と、まーったく無益な感動に浸れること請け合いです。いやそんなことより、この最南端の碑から断崖のほうに下っていき、そこから眼下に望む荒々しい太平洋がすばらしいのです。

まっさらな雪みたいなさらさらの白い砂と、人のいなさが隠れスポット的に気に入ってしまったペ浜も、天気がいまいちなのは残念だった。

夜は前夜よりもさらに豪勢な夕食。なにしろ、ウナギの蒲焼と分厚い天どんという、なんてハイカロリーな組み合わせ!
宴が進むにつれ、地元の陽気なおっさんや、若者3人組などが闖入してきて、泡盛のうまさがさらに増す。

この若者3人は、歳はばらばらのようだったが、そろいもそろって独身もの。どうやらここに来た目当ては将来の嫁探しなのでは?と勘ぐってしまうほど、唯一の女性客Rにいつのまにかすり寄ってるし(笑)。波照間では、地元の女性はみな島を離れてしまうので、本土からやってくる沖縄好きの女性がこの島の男性のお嫁さんになる、って話を聞いていた。

もし僕がこの島に生まれていたら、と思うと、やはり僕はきっと、この小さな島を窮屈に感じ、逃げるように都会に行ってしまうんだろうな、と想像する。
いや、どちらが幸せだったのか。そんなの考えても意味はないんだけどね。

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2007/05/04

沖縄 曇時々雨一時晴れ<波照間1>

そして、5年ぶりの波照間なのである。

一時期の熱烈な沖縄ブームは冷めたというかむしろ、高値安定期に入ったようで、つまりあの石垣島の新離島ターミナルの力の入りようからも感じられた通り、沖縄より果ての八重山のそのまた果ての波照間島にも、人の流入とそれに伴うお金の流入は止めるべくもない。
もちろん、僕だってその、流れて来ては金を落として去っていく観光客の一人であり、「波照間が観光地っぽくいなっちゃって、なんだかツマラナイね」なんて、たいそう偉そうなことなどいう立場にはまったくない。

どの土地を旅していても、旅行者と生活者の間には、お金という橋がかかった谷間があり、それでも僕はその谷間を渡ってでも、あちら側に足を踏み入れたくなるたちなのだ。
「自分だけの島であってほしい」というワガママな旅行者と、「観光客にどんどん来て欲しい」生活者。
「素朴な島のままでいてほしい」という希望と、「島をもっと発展させたい」という願望。
いや、本当は誰でも知っているはず、島が内地と同じになってしまったら、島の引力が失せるということ。

なんだか大袈裟になっちゃったけど、なんてことはない、5年の間にレンタサイクル屋さんが数軒登場し、流行風なお洒落なカフェができ、そしてニシ浜にウワサのペンションがどどんとできてたというだけのことではある。

相変わらずはっきりとしない曇り空の下、11年前に読んだ旅行記以来の念願、たましろに到着。
前日の欠航騒ぎで1日遅れでたましろに来ていたRとも無事合流。知り合ってからまだ4~5回しか会ってないはずなのに、波照間島で「おいっす」と会えてしまう、この同じ生年月日繋がりの縁ったら。

寂しいことに、本当は10人ほどの予約が入っていたにも関わらず、やはりこの天候不順と船の欠航のせいで、結局この夜に泊まっていたのは6人だけ。そのうちの1人は、100泊以上この宿に泊まっている(というか生活している)、とうていその歳には見えない黒々と焼けた70過ぎのつわものだった。

そして、ついに、うわさのたましろ飯が!

Tamashiro_meshi

大盛りご飯と八重山そば(3玉分)という、関西人にもきっつい炭水化物セットに、刺身、らっきょう、ジーマミー豆腐、さんぴん茶に、なぜかバナナ!
そしてもちろん、東京の百貨店では三合瓶が万単位で売られていると噂の、幻の泡盛「泡波」が、ぼんとテーブルに置かれる!うきゃー!!
ご飯を残すことに子供のころから強い罪悪感を感じる僕ですが、さすがに「ごめんなさい」してしまいました。っていうか、完食できた人は白い目で見られがちです。

この晩は、波照間中学校に単身赴任しているRの大学時代の同級生の家にお邪魔する。僕とはまったくの初対面で、きっと「どんなあやしいやつが来るのだ!?」と警戒もなさっていたでしょうが、いやはや、とっても和気あいあいと楽しい晩でした。(よね?)


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2007/05/02

沖縄 曇時々雨一時晴れ<波照間の話>

さて、この旅の最大の目玉・波照間島へやっとのことで渡るのであるが、、、そもそも波照間島とは?

八重山病患者には自明の理であるにも関わらず、その他一般市民には果たしてどれだけ知られているのか甚だ怪しいのであえて。波照間島は、日本最南端の有人島なんです!

ただそれだけといわれれば、たしかにそれだけの島なのだが、一度その島に、ちゃんと、訪れた者なら、きっと緯度だとか国境だとかそんな人為的な物差しとは無関係に、きっと虜になってしまう。

僕がこの島に初めて訪れて、そして虜になったのは、今から5年前、2002年の正月と記憶している。
その記憶の根拠はふたつあり、ひとつは、その2002年の旅で念願のマイ三線を石垣島で購入したことで、もうひとつは、2001年9月11日のあの日に対するアンサーとして緊急出版された『非戦』を、祈りやすがる思いや決意に似た感情で読みふけったのが、この最果ての南の島の誰もいない浜辺だったからだ。

「日本国」では正月であるっていうのに、ここには除夜の鐘も門松も初詣もありゃしない。
それどころか、暖かいのだ!Tシャツと短パンで島を自転車で巡れば汗が吹き出て日焼けして、ビーチでは泳いでいる人だっているのだ!
この島は未だ、旧暦が生活の流れの背骨になっているんだと、カルチャーショックを同じ「日本国」で受けたものだ。

そして何より、ニシ浜とよばれる浜の海のその色が、強烈だった。
海は青ではない。海はエメラルドグリーンで、クリスタルブルーで、群青で、緑で、黒で、目と心を濾過する美しさだった。メキシコやホンジュラスのカリブ海に勝るとも劣らぬ、絶景だった。

僕が波照間に求めていたのは何も、最南端の島、というだけの理由ではなかった。
1996年発売というから、どうやら僕がワーキングホリデーでカナダに行く前年に読んだらしい、蔵前仁一さんの『旅で眠りたい』というアジア横断旅行記に、波照間島の名物旅館として「たましろ」が紹介されていた。曰く、メシの量がハンパではなく、とてもじゃないが食べきれない上、泡盛は飲み放題で、宿泊客も訳ありな感じだとか。
僕はそれを読んだ瞬間、「絶対にこの旅館に泊まりたい!」と心に決め込んでしまったのだ。

しかし2002年の旅行では、時期が正月とあって、残念ながら予約が取れずに別の宿に泊まった苦い思いがある。
今回はゴールデンウィークの直前だったこともあり、念願の「たましろ」初体験。しかも、まったく生年月日が同じRも同じ時期にこの宿に泊まるという奇遇が、なんだかもっと旅を嬉しくさせる予感。

~続く~

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2007/05/01

沖縄 曇時々雨一時晴れ<石垣へ>

那覇から石垣島への足は、有村産業の「クルーズフェリー飛龍」を使う。月曜夜20時に那覇新港を発ち翌早朝4時に宮古島を経由し、火曜の朝10時に石垣島へ着くというスケジュール。

この時代においてなお飛行機より安いし、なにしろ単純に船旅を楽しめるのが、いい。
2等客室は2段ベッド3台で、確かに寝やすいとはいえないが、ホテルのようなフロントあり、レストランあり、もちろん海をぼけーっと眺められる広々としたデッキあり、ちょっとした(ホントにちょっとした)タイタニック気分を味わえる。
5年前に大阪-那覇間を使用した時は船旅だけで2泊3日かかり、しかもほとんど乗客がいなくてなんともうら寂しいイメージだったけど、いやはや那覇-石垣間は驚いてしまうくらいの盛況っぷりで、喜ばしいやらなんやら。

しかし本当の驚きは、石垣島の港に待っていた。
フェリーが着く石垣港から、各離島への高速船が出る離島桟橋へと10分ほどかけて歩いていく。この離島桟橋へは、今まで何度来たことか。竹富島、黒島、西表島、そしてもちろん波照間島へ行く時も、いつもこの桟橋から船に乗っている。
その離島桟橋に着くと、いつもと調子が違うのだ。人が全然いない。船会社のシャッターがどれもこれも閉まっている。あと5分で波照間行きの船は出る。狐につままれたように、呆然として、そして船を求めて歩き回る。

やっとのこと、端っこのほうでわびしく開いていた旅行会社に「船はあっちから出てますよ」と指差された方向へ半信半疑でそそくさ歩くと、そこにあったのは!石垣空港よりも10倍は立派で小生意気にも電光掲示板まで備えた、「離島ターミナル」なる新しい建物だった。
重たいバックパックを担いだ浦島太郎の侘しい気分。11時の船に間に合わず、次の15時の便まで見慣れた石垣の町をぶらぶらと歩く。

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