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2008年3月

2008/03/30

芦屋の図書館から夙川の桜まで

久しぶりに、なーんにも予定のない週末。

今読んでいる"Kafka on the Shore"は、高松にある「甲村記念図書館」という古い図書館が重要な舞台になっている。
どうやらこの図書館は実在せず、村上春樹の想像の産物のようなのだが、「村上春樹が若かりし頃に通っていた芦屋の図書館がモデルになっているらしい」という話をどこかで見聞きしていたことを読みながら思い出した。

ネットで調べてみると、それは「芦屋市立図書館打出分室」ということが判明。
久しぶりの英語小説はまだ半ば過ぎまでしか読めていないけど(これかなかなかおもしろい)、春の散策ついでに一人でぶらりと出かけてみることにした。

阪急芦屋川駅から南へ南へ、JRを2号線を超え、「ギャラリー」を「ガラリエ」と表記するようなギャラリーや無駄な空間が多いデザイナーマンションを通り過ぎ、阪神打出駅の北にある目的地に着く。結構な距離であった。

Library

レトロな外観に胸弾ませ「芦屋市立図書館打出分室」に足を踏み入れる。
ここが、もしかしたらあのカフカ少年が生きている図書館のモデルなのかと。。。

しかし。
最近改装されたのか、拍子抜けとはまさにこのこと中は普通の図書室そのもの。ちょっとばかり残念だった。
でも、大きなガラス窓の向こうには日本庭園があり、心落ち着く雰囲気はよかった。
あたたかい太陽の下、窓沿いにすえられたソファで"Kafka on the Shore"を読むこととする。

それから、来た同じ道をまた戻るのも癪なので、さらに東へ東へ、瀟洒な家々を通り過ぎ桜の名所夙川を目指す。

Shukugawa

桜が開花してから最初の週末とだけあって、まだ三分咲きといったところにもかかわらず、たくさんの花見客でごったがえす夙川。
一人河辺にちょこんと座り、桜と桜の下の人人人を眺めるもまたよし。

僕を含めてこの国に住む人は、桜の花そのものと、桜にかこつけた春気分がなんて好きなんだろうと再確認する。

今年もまた桜を愛でることができてよかったな、と毎年思う。
ちゃんと生き延びてこれてよかったですね、これは神様からのささやかな御褒美ですよ、みたいな。
きっと誕生日が桜の季節だからだと思うけど。

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2008/03/17

懐かしい風景

カナダから帰国した1998年から尼崎に引っ越してくる2003年までの5年間住んでいた、関大前に久しぶりに行ってきた。

橋以外はまっ平らな尼崎から自転車で来ると、吹田は起伏が多いことが身をもって実感させられる。
若者の街らしく、関大前の学生街は新しいお店やマンションだらけで、なんとも新陳代謝の活発なこと。週末なのに道いっぱいに溢れる学生たちの、なんともまぶしいこと鬱陶しいこと。

Mちゃんに会う前に、自分が住んでたアパートの前をうろうろしたり、よく通っていたスーパーの方にも足を伸ばしてみた。
そして気付いたこと。
5年も住んでいた町のこと、僕は全然知らなかった。

スーパーの周りには、面積は小さいが畑がいくつもあった。当時の僕の目には、これっぽっちも映っていなかったのか。
あの道の先にはどんな景色が広がっているのか、あの家にはどんな人が住んでいるのか、駅へと続く道にある小学校の名前や小さなケーキやの存在、どれもこれも知らずに5年間生きていたことが、なんだか新鮮に驚いた。

Mちゃんは、知り合った頃はまだフリーターで、いつからか大検を取ると勉強しだし、大学に進み、気がつけば大学院に進み、そしてこの春、就職である。Mちゃんが就職であるとは、光陰矢の如し。

新しい環境で、矢のスピードで過ぎ去る時間に流されることなく、いつまでもMちゃんらしくがんばってください!

LA土産で村上春樹の『海辺のカフカ』の英語版ペーパーバックと写真立てをもらった。ありがと~!
久しぶりの英語小説、どれくらい時間かかるか楽しみ。

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2008/03/09

失うものが、ある

10年前だったら、失うものなどなにもなかった。
なにもかもかなぐり捨てる、というよりも捨てるものさえなく、僕はきっと、彼女の提案に乗りフィリピンへと喜び勇んで飛んで行っただろう。これでやっと、日本から脱出できると。


先週のこと、作業所での仕事をしている最中に大学時代からのとある知り合いから突然、「フィリピンでビジネス始めるから、あっちに移り住んで仕事せえへんか?」とお誘いの電話があったのだ。


10年前には、なにかを持つことはかっこ悪いとさえ強がっていた。
安住を、社会的責任を、地位や名誉を、重たい重たい重たい家族を持つことを。
自由であること、あるいは自由であると思っていることは、たしかに、ふわっと浮くような幸福感をもたらしてくれた。一生、根無し草でいたい、心赴くままに旅するように生きていきたいと、20歳そこらの若造なりの経験から願望したものだった。


しかし当然のことながら、僕はそのお誘いは断らせてもらった。
失うものなどなにもなかった10年前なら喜んで飛びついた話が、今の僕には遠い昔のおとぎ話のように聞こえた。
自分にとっては、非現実的で、どこかしら滑稽で、そしてどこまでも残酷で。
(その彼女の話自体は、断じて非現実的で滑稽で残酷でもないのであしからず)

この10年の間に、失いたくないものがどうやら増えていたようなのだ。
根無し草だと思っていたのに、気がつけば根っこがこの土地に張っていたのだ。あの頃は忌み嫌っていたこの日本の土地に。

もちろん今だってすべてがいいことだらけではなくて、時々かなぐり捨てたくなることだってある。
でも一旦得てしまったものを捨てるのは、なんと勇気のいることだろう。いや、なんともったいないことだろう。なんと不幸なことだろう。

10年前の僕には、そんな「なにかを持つ」人たちを、しがらみにがんじがらめになったかっこ悪い大人たちだと決め付けていた。
でもそっか、大人になるということは、そんなにかっこ悪いことでもなかったんだ、と10年前の僕に言ってあげたい。

「失うものは なにもない」から「失うものが なにかある」の間に、失った自由と引き換えのささやかな幸せがあることを知る。

それでもいつか、もしかしたらここを離れて遠くに行くかもしれないあなたに、それでも僕は、心の底から応援します。
もっと大きな幸せがそこにあるのなら。


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2008/03/04

2月

うわ、気がついたらめちゃくちゃブログの更新滞っていた。
こんなに間が開いたのは、初めてのことかもしれない。
2008年2月、一度も更新していない。

いや、特にこれといって特別凹み時期だったわけではないですが。

寒かったな。雪が何日も何日も降ったな。冬は寒くて当たり前なんだけど、たまに寒くて寒くて泣きたかったな。

イベントにもたくさん行った。
「マジョリティ」と「マイノリティ」、「健常者」と「障害者」、「持つもの」と「持たざるもの」の境界線のあいまいさについて、淡いさについて、意識させられることの多い実りあるイベントたちだった。

今年のスケジュール帳は、去年のスケジュール帳の後ろの方に大量についている余白ノートページに手書きでカレンダーを書き込みつつ再利用しているので、去年1年間の予定がばっちりと分かる仕組みになっている。
んで去年の年始から、その月に読んだ本のタイトルを書き残す習慣をつけていて、気がついたこと。

1年で一番たくさん本を読んだのが、2月だった。

なんでだろ、やっぱり寒いから外で自転車乗り回してるより、家やカフェや図書館で本を読む方に時間を費やすからだろうか。

今年の2月もやはり、たくさん本を読んだ(遅読の僕にとっては)。
『星々の舟』 村山由佳  
『人間失格』 太宰治
『娼年』 石田衣良
『この本が、世界に存在することに』 角田光代
『すごい生き方』 雨宮処凛
「だだだな町、ぐぐぐなおれ」(『群像』2007年6月号) 広小路尚祈
「主題歌」(『群像』2007年6月号) 柴崎友香
「紅水晶」(『群像』2007年6月号) 蜂飼耳

『人間失格』の(読んでて胸苦しくほどけったいな)主人公ほどではないけれど、「だだだ」な感じな人間が出てくる物語に食指が動いてしまう「だだだ」な僕ですなー。

こそばゆい春のひそひそ声、聞こえそうになったら冬がガーッとかっさらっていく日々があと何度やり過ごすことやら。


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