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2011/07/18

南相馬に1週間行ってきました。

なんだかこんなブログしか書いてないですが。。。

先週1週間、南相馬にある障がい者の働く場のお手伝いに行ってきました。

南相馬といえば、福島第一原発から20キロ圏内の「警戒区域」、30キロ圏内の「緊急時避難準備区域」、30キロ圏外、さらに圏外だけど放射能が高い「計画的避難区域」の4つに分断された町だ。

もちろん、地震や津波の被害も甚大だったが、南相馬で一番問題なのが、目に見えない放射能によって町の先行きがまったく見通せなくなってしまったことだ。

僕がお世話になった法人も、震災前にいた職員40人のうち残っているのはたったの4人。
ここ数ヶ月の過労で体調を崩し、しかも梅雨明け後の猛暑で、僕が支援に入った2日目にたった1人残った男性職員が倒れてしまい救急車を呼ぶ事態にまでなっていた。
また、この法人のさまざまな施設で働いていた障がい者も半分は町外へ避難したまま帰って来れず、10人ほどは震災のショックや施設環境の変化に戸惑って、家から出て来れていないという。

テレビや新聞で、福島や南相馬の現状は知っていたつもりだったけど、やはり、その土地を訪れその土地で生きてきた人々に直接会ってみると、原発事故によってふるさとを奪われる理不尽さは想像以上だった。

しかし一方で、毎日毎日顔をあわせる障がい者メンバーさんに、僕はどんどん好きになっていった。
彼らはせまい職場で相当ストレスを抱えており、2日目には相当激しい言い争いの現場に立ち会ってしまった。
「やっぱり大変だ、これから大丈夫かな。。。」と不安を覚えたけど、翌日にはしっかりと顔を見せて、あいさつもちゃんとできていた。
日に日に変わっていく、というか成長していく若い彼らのそばに、もっともっと長く付き合って、彼らがなんとか自分たちだけの力で生きていくのを見届けてみたい、とまで思うようになった。

別れ際、職員さんに「せっかく福島まで来てくれたのに、遊べなかったし祭りも見れなかったし残念ね」と言われた。
たしかに、僕が見た南相馬は、漁船や家が未だに津波にさらわれたまま放置された悲しい景色だし、彼らが誇りにする野馬追という伝統の祭りは、DVDでしか見れなかった。
でも僕は、朴訥で、粘り強く、はにかむような明るさのある福島のすてきな人々にたくさん会った。自然や風土は堪能できなかったけど、出会った人々が福島のいい思い出です。
また必ず、会いに行きます!


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